寺田寅彦覚書

寺田寅彦覚書

寺田寅彦覚書』(岩波書店)を書いた山田一郎氏は高知の生まれである。

 省営バスの舟戸橋停留所近くの川岸に広場があって、小さな集会所が建っていた。粉雪の舞う寒い日、その広場でかわいい坊やが日がな一日、竹の棒を持って踊っていた。坊やは白い息を吐きながら口で拍子を取っていた。

トコトコトントントンチキチ
トントンチキチ トンチキチ
トントンチキチ トンチキチ
トコチン トコチン トコチコチン

それは秋葉神社の鳴り物、太鼓の音のまねであった。秋葉さんは旧暦正月十八日、別枝の秋葉神社の祭礼である。祭りが近づくと「練り」の「ならし」(練習)が行われる。坊や−それは吉岡重忠さんの長男であった。まだ学齢前の彼は仲間に入れてもらえないので一人で踊っていたのである。
(「仁淀渓谷」、山田一郎『南風帖』高知新聞社より)

山田氏の若き頃、同じく文学を志す仲間がひそかにあこがれたのが、当時まだ健康を回復していなかった大原富枝だった。大原富枝は、先日の日記でも触れた

彼もまた神の愛でし子か―洲之内徹の生涯 (ウェッジ文庫)

彼もまた神の愛でし子か―洲之内徹の生涯 (ウェッジ文庫)

『彼もまた神の愛でし子か』(ウェッジ文庫)で、洲之内徹の、臭味のあるというにはあまりに凄惨な人生と人柄とを冷徹に書いた人。

山田氏は、同郷の小説家上林暁(かんばやし・あかつき)とはうちが近所で、ちょくちょく杉並区天沼の銭湯で話す仲だったそうである。これも『南風帖』に詳しい。もちろん上林が2度目の脳溢血で倒れる前の話だろう。

その天沼在住のボーカリストが書く天沼メガネ節、日記のつもりだろうが毎度"良い詩だな"と思いながら読んでいる。eastern youthの新作が出たらしい。

歩幅と太陽

歩幅と太陽

寺田寅彦山田一郎、洲之内徹、大原富枝、上林暁eastern youth。この人たちに共通するものを一言で表したら「寂しさ」でありましょうか。

どうでもいいことをもう一つ。eastern youth以外は四国(洲之内は愛媛、他4氏は高知)出身。eastern youthは北海道のバンドだけど、北海道を四国に「呼び寄せてしまう心性」のようなものがあるとしたら、それはHTV「水曜どうでしょう」の四国巡礼シリーズにまで響いているんじゃなかろうか。

(先日の続き)
隔離病室じゃないが、M氏専用の(というかM氏を閉じ込めておく)部屋として、1階の6畳和室にトイレを移し、引き戸を閉め切った。クソ暑い真夏にクーラーのない和室を閉め切った状態にしておくのが不憫でならなかったのだがやむを得ない。
私がストレスで仕事を休んで、この時期ずっと自宅にいたため、仔猫(当時のMは4ヶ月歳)の病気の心配と自分の仕事復帰のリハビリ(本来はぼーっとしてないといけない)が重なった。1日2回M氏を洗って薬塗って飲まして、毎日部屋を掃除して、1週間ごとに獣医に見せて薬を貰う。部屋は暑い、猫は構ってほしいから私が相手をする。普通の週末の休みだってこんなに忙しくはなかろうという状態が8月末まで続いた。
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9月に入ったが依然として毛は抜け皮膚は変色したまま。子供と犬の真菌症は2週間程度で消えたのに、M氏の症状はいっこうに改善せず。獣医には「菌はもう見えていないが、完治には数ヶ月かかることもある」と告げられていたものの、毎日のシャンプー・投薬の効能があまりにも見えないため、とうとう別の病院に連れて行った。
専門用語を多発する、やたら話の長い先生だったのだが、

  • 私が塗っているのは、真菌症治療のための塗り薬ではなく単なる抗生物質
  • 毎日シャンプーは不可。菌は湿度の高い環境を好むため、よほどしっかり乾かしてあげない限り逆効果にしかならない

なんだそうである。おいおい、それじゃいままで汗水たらしてシャンプーさせてたのは「菌を活かしておくため」だったのかよ。
下の写真は去年9月11日のもの。2番目の医師から、菌が既に存在しないことを顕微鏡で確認してもらったので、「隔離病室」を取っ払った時。

丸くなって寝ているM氏の、右耳の周囲に丸く毛が抜けて皮膚が変色しているのが分かると思う。あと肩のところに2カ所同様のリングがある。この時点で既にシャンプーは止め、塗り薬も2番目の医師からもらったものに変えてます。
ここからの回復はあっという間だった。10月1日の写真。

写っていないが、体にあるリングも消えてます。

真菌症は、体力のある成猫ならそうそうかかるものではないそうだ。先日のO氏とじゃれてる写真でお分かりの通り、犬に甘噛みされていたのがもしかしたら原因なのかも知れない。
その後のM氏は病気一つせず、拍子抜けするほど手のかからない猫になりましたとさ。獣医の治療の個人差に注意しなければいけないということは、高い授業料を伴う苦い経験だったけど、いい勉強になったと今では思える。

去年の7月頃、最初にM氏の異変に気づいたのは妻だった。彼の右目の上あたりの毛が抜け始めていた。医者に見せたほうがいいのでは、とのことで、動物病院に連れて行ったところ、真菌症(リングワーム)と判明しました。
↓の写真は去年の8月初旬、発症して3週間くらいで頭から肩にかけて上から写したもの。最初は右目の上だけだったのが徐々に広がり、首のところに3カ所、リング状のかさぶたらしきものが見える。周囲の毛は塗り薬を使いやすくするため剃ってある。

実はここ以外に、右後ろ足の付け根に卵大のリングがあり、さらに最初に発症した右目上から耳の付け根にかけては、ほぼ顔の半分くらいにまで広がった。上の写真の後、リングが黒に近い紫色に変色して広がり、地図を塗り潰すように毛が抜けていくのです。
あまりに痛ましくて写真に撮れなかったが、一時期の彼の顔は「お岩さん」そのものだった。はちわれの猫の右半分の黒毛を目の上ギリギリまで剃って、皮膚を紫に変色させたような感じといえばご想像がつくだろうか。

真菌症は犬のO氏と娘にも移ってしまったため、獣医師の指示に従いM氏を人間・犬から隔離することになった。合わせて、毎日感染箇所を薬用シャンプーで洗うこと、部屋を毎日掃除して菌の繁殖を押さえること、など。この時セカンドオピニオンを求めて別の医師に見せてたらまた違ったんだろうが、その時はとにかく早く良くなってほしいので忠実に指示通り実行することしか頭になかった。これが長い長い夏の始まりだった。

うちのM氏の昨年6月の頃、2ヶ月歳くらい。私の頭の中は、どうやって彼を先住犬のO氏に受け入れてもらうかということだった。(後ろにいるのは小4の娘)

案ずるより産むが易し。2人は割とスムーズに認め合ってくれました。この年の夏が大変なことになろうとはつゆ知らず・・・


いささか誤解を招くような写真を出しておりますが、ちょっと風神雷神図みたいじゃございません?

文学はゴシップである、とは小谷野敦の言だったと思うが、最近、続けざまに文壇の「中の人(=編集者)」本を読んだ。
(元講談社の)中島和夫『忘れえぬこと忘れたきこと』(武蔵野書房
(元筑摩書房の)野原一夫『編集者三十年』(サンケイ出版)
(元筑摩書房の)柏原成光『本とわたしと筑摩書房』(パロル舎
(元講談社の)大村彦次郎『ある文藝編集者の一生』(筑摩書房
「個人的に面白かった」順に並べてある。柏原成光の本のみ新刊、あとは古書です。

 文学者の臭気にこんなにもまみれながら、なお"文学道"を疑わない中島和夫が一番面白かった。中島は以前『文学者における人間の研究』(武蔵野書房)を読んで気になっていたのだが、とても感情移入を伴う読書なぞできない文学者の俗気紛々たる環境で、それでも純文学の隆盛を願いながら激務をこなす日々は、ちょっと想像するのも難しい。ある意味異人種・宇宙人と呼んだほうがふさわしいような文壇人を上手に転がし、それでもその世界で生きることに生き甲斐を見出すというのは並大抵のことではなかろう。よほど好きじゃなけりゃできないだろうな、ということです。

 私の最近の古書通いも、文学書漁りが専らです。上記みたいなコテコテでいやらしくて恐ろしくてちょっと悲しい人間模様を感じたいという思いがあるようです。「くさやの干物」クラスじゃないと受け付けなくなってきている気がする。「普通の」ものは、何が普通かと言われると困ってしまうが、マックのハンバーガーかコンビニ菓子くらいにしか感じない。

 先日京王百貨店古書市で、洲之内徹の気まぐれ美術館シリーズの未入手2冊(『セザンヌの塗り残し』『人魚を見た人』)を、ちょっと高価だったが買ってきた。1冊が各2,500円也。この洲之内もそうとう臭う。カレーじゃないが、大原富枝『彼もまた神の愛でし子か』(ウェッジ文庫)読むと臭味が5倍増になる。当然その大原富枝も「臭い」わけで、大原が犬との生活を綴った『三郎物語』(中公文庫)をこの日記で以前に紹介したことがあるが、文学者の臭気への中毒が強くなったのはあの頃からかもしれない。猫の本ばかり読んでるわけじゃないんです。

上記書籍中、新刊は『彼もまた神の愛でし子か』『本とわたしと筑摩書房』。どちらも書店の棚から消えたらおそらく入手できなくなると思われます。昨今、臭いものはすぐ遠ざけられますから。

 十ウン年ぶりの京都は下鴨神社古書市に参戦してきた。
 会場のデカさと品数の多さにしばし圧倒された後、端のテントから根気よく見ていくことに。通常の古書市ならこれで行けるのだが、このくらいの規模になると無理だったようだ。徐々に疲労が溜まっていくのが分かる。会場内の軽食場でビールとウドンで一息入れ、再度アタックを試みるも息が続かず"酸欠状態"に。いやあ、実に参りました。
 もうろうとしてきた頭に頭痛が加わり、だんだん残りのテントも少なくなって来た頃、伊藤整『太平洋戦争日記』全三巻揃が目に入った。第一巻を箱から出してめくると巻末に「3冊4,800円」とある。明らかに躊躇する値段であることに加え、既に何冊か入っているバッグパックがこれでぐっと重くなることが頭をよぎる。予期せぬ疲労で後ろ向き思考になっていたこともあり、購入を諦め、もう帰ろうと出口へ歩きかけた。
 出口でふと、もう一度あの日記を見てみるかという気が起きた。情けない話だが、せっかく京都くんだりまで出張ってきたんだから、大物一つくらい持って帰りたいという欲が出たのだと思う。先ほどのテント(あとでチェックしたらヨドニカ文庫さんでした)に戻ってもう一度値段を見ると、第一巻の箱の隅に「3冊1,500円」の文字が。
 あれ?
 おそらく、疲労で朦朧とした目には箱の文字が見えなかったんだろう。古本の神様がどういう気まぐれか背中を押してくれたおかげで、最後の最後に良い買い物をさせてもらいました。

 その後元気を取り戻し、母校を外から眺めつつ銀閣寺道まで歩いた。私のラーメンライフ(と言えるほど大げさなものではないけど)の原点の一つ「ますたに」でラーメンを食べてみたかったからだ。ここは、昼に店を開けたら夕方スープがなくなり次第終了というお店なので、昔とオペレーションが変わっていなければ、午後の客の来ない時間帯でも閉めていないはずだと考えた。
 変わってなかったねえ。店の外観も、ご主人+おばちゃん数人のメンバー構成も、20年前と同じだ(もちろんおばちゃんの入れ替わりはあったはずだが)。味はというと、私のつたない記憶による限り昔と変わらない背脂の乗ったこってり醤油味。最近は市内はおろか東京にも支店が出ているらしいが、本店の外観は"街の古ぼけたラーメン屋"のまま。
 「ますたに」の2件隣にあった、昔自分が溜まり場としていた先輩の下宿の家もそのままであった。学生のものらしき自転車が置いてあり、下宿業もまだやっているらしい。
 他にも、鴨川の三角州で遊ぶガキども、進々堂、緑の市バス、大学のタテカン。20年の時の流れが止まっているかの如き風景が目にしみる。歩いてみて変わったところといえば、こじゃれたマンションが何件か建っているのと、百万遍に大きなドラッグストアができたことくらいだろうか。

 最後に、疎水と今出川通を挟んで「ますたに」のほぼ向かいにある、オープンしたばかりの善行堂に立ち寄る。思った通り、私の脊髄を大いに刺激する品揃えで、頻繁に来店できないのが残念。日夏耿之介『風雪の中の対話』(中公文庫)、室生犀星『我が愛する詩人の伝記』(新潮文庫)を購入しました。長く続けていただきたいです。

 私の書庫は2階北側の4畳半。スチール本棚を6本入れているのだがそれでも床の上に本が溢れ、子供部屋の乱雑さを叱るときまって言い返されるのが情けない。
 言い訳をしますと、場所を入れ替えたり順番を並べ替えたりの本の整理は、本の量がある喫水線を超えた段階で不可能になる。例えば、五月雨式に買った大西巨人の本を一まとめにしようとしても、新たにスペースを作ることも、動かした後のスペースを埋めることもできなくなっている。もっと大掛かりに、文学系と社会科学系と雑学系で本棚別に分けようとしたこともあったが、鍋底をひっくり返すことの手間と労力(本は重い)を考えると気持ちが萎える。んなわけで今日此処に至る、と。言い訳になってないか。

 先日の京王百貨店古書市にて、某ブログで推薦されていた西山夘三『増補版 住み方の記』(筑摩叢書)を600円で買った。戦前〜戦後の(主に京都の)住まいの歴史が著者の個人史と絡めて綴られた一冊。収納と動線から住居の変遷を見ると、昔の日本の家が狭いながらも効率的に出来ていたんだなあと思います。振り返って我が家はどうか。西山先生(自分でも"明治男子"とはっきり書いている)のカミナリが落ちるかもしれない。
 さらには、旧制高校生以来の豊富な手書きイラスト(若いころのはほとんど漫画のイラストに近い)がすばらしい。家族も一緒に描かれた自宅や実家のイラストが、書かれた時々のコメントと一緒にたくさん出てきます。これを見るだけでもこの本を買う価値があると思うが、残念ながらイラストの中には縮小しすぎてコメントが読めないものも多い。なんとか図版を拡大したバージョンで再販されないか。

 著者は大阪生まれで元京大の先生だったため、その視線はもっぱら戦前〜戦後の旧三高・京大や左京区下鴨辺りの住居・街並みにそそがれ、私の大学時代が思い出されてなりません。思えば、家庭教師のバイトしてたのは下鴨の植物園の近くの女の子の家だった。彼女のオヤジさんは面白い人で、酒を飲みながら当時世間知らずの私に「日本で一番の土地持ちは誰か知ってるか?」とけったいな質問をして困らせられました。ちなみに答は王子製紙です(製紙会社は紙の原料確保のため森林を膨大に所有しているから)。

 懐かしいぞ京都! というわけで、来週火曜の下鴨神社古書市に合わせて、久しぶりに京都に行ってきます。