「国民」的スポーツvs「市民」的スポーツ

以下の文章は、既に閉鎖されてしまった「きまぐれ偏拾帖」の2004/7/16の記述から、googleでサルベージしたもの。
最後の段落のところ。そう簡単にプロ野球が「死ぬ」とは思わないし、三木谷は新球団言い出してるし。そもそもこの手の野球とサッカーの対比は(過去はともかく)これからもこれでいいのかとも思う。マリーンズのライトスタンドを見てると、Jリーグの「学習効果」てのもあるんじゃないだろうか。

 何かコメントしようと思っていて時間が経ってしまった。近鉄バファローズと、サガン鳥栖の問題である。基本的に、プロスポーツというものの経営やマーケティングにコメントする気が起こらない。関心がないわけではないが、まともなマーケティングや経営の議論の対象とすべき世界なのかどうか、非常に疑わしいと思っているからだ。

 以前に実はフリューゲルス合併〜横浜FC設立のプロセスに非常に深く関わった経験があるのだが、その経験から言うと、あの世界はまさに「ヤクザ」の世界である。詳しく述べると長くなるので言わないが、芸能界と同じように「個人のネームバリュー」がカネを生む世界であり、しかもその個人があまり頭の良くない人ばかりのところなので、「有名人」になればなるほど、ウジ虫のような黒い取り巻き連中が裏にウヨウヨいて飛び交うカネにたかっている。


 あの騒動の中でそういう現実を目の当たりにしてしまったので、正直どんなプロスポーツも(特に野球とサッカーは)冷静な議論の対象にしたくないという気持ちが未だに強い。議論にすれば、それがまたあちこちに輻射して彼らのネームバリューを高める。ヤクザどもにみすみす自分の努力を捧げたくもないというのが、もともとあったからだ。

 ただ、サガン鳥栖が解散するかもという話題は、あまりにも世の中に問題の本質をきちんと説明する人がいないので、やはり書いておかなければならないのかもと思った。

 J2のサガン鳥栖のこれまでの経緯は、昔からのサポーターなどには広く知られている。しかも問題がこじれにこじれており、本質的な問題はJリーグが時折見せる「資本の論理」にあるため、公然とJリーグ批判したくないスポーツ紙などのメディアもあまり触れない。したがって、最近になって関心を持った人には何が何やらさっぱり分からないのではないかと思う。

 そうした門外漢の「?」に応えるかたちで最もよくまとまっているのは、鳥栖サポーターによるこのサイトの7月3日のエントリ。古賀照子社長に対する「経営のプロ」ぶりの評価など、なかなか皮肉が効いていて面白いが、これ以上ディテールに入ると事実関係の泥沼(笑)に入っていくので省略。興味深いのは、フリューゲルス問題が吹き荒れた98〜99年とほぼ同時期に今回の問題の種が播かれていたということだ。つまり、「市民株主」という制度である。

 日本において野球とはあくまで「興行」であり、プロ野球球団の資本は基本的に特定の大手企業が100%保有する。客は、野球のプレーだけを楽しめばいいのであって、球団経営の問題をとやかく言う立場にはない。これが野球の世界の論理だった。従ってプロ野球球団と高校や大学野球との間には、上位の選手の「買い付け」というカネのやり取り以外、何の関係もない。

 サッカーはその成り立ちからして違った。91年に日本サッカーリーグJSL)を改組してプロリーグ「Jリーグ」を立ち上げた川渕三郎(現日本サッカー協会会長)は、「Jリーグ百年構想」の中で「地域に根ざし、下部組織としてのジュニアユース、ユースを持つ総合スポーツクラブ組織」となるようにリーグ各チームに求めた。

 この結果、サッカーでは中学や高校所属ではなくマリノスアントラーズといったクラブの「ユース」に所属する(あるいは両方所属する)中高生の選手というのが出現し、地域によってはそうしたクラブと地域の中学、高校が選手育成で連携するところも出てきている。つまり、サッカーにおいてクラブというのは地域の少年サッカー組織経営とも密接に関係するのであり、選手だけでなくクラブ経営もその地域のサッカー組織の「頂点」と位置づけられるようになった。

 もちろん、現実の世の中はそれほど単純な構図ではない。実際のJリーグ各クラブはもともと古河電工三菱自動車、日産、ヤマハ発動機住友金属工業などの大手企業の企業内スポーツクラブとして成り立ってきたところが多く、野球に通じる「興行」の意識を持ったフロントの球団も、残っていないわけではない。だが、リーグ設立から13年を経て、サッカーの地域密着は確実に進行している。

 98年前後にサガン鳥栖横浜FCコンサドーレ札幌清水エスパルス水戸ホーリーホックなどが相次いで市民から出資を募って「市民株主」制度を導入するのも、こうしたリーグ構想に忠実に考えれば、特定企業の経営に左右されない地域に根ざした組織体として当然起こりうる1つの方向性だったと言える。

 ところが、鳥栖以外の多くのチームは、個人に一部の株は持たせても、株主構成全体で見ると必ず経営陣のバックボーンとなる「物言わぬ大株主」を中に入れている。一時は「市民球団の代表的存在」のように騒がれた横浜FCでいうと、実態は「中小企業がオーナー」の球団である。

 同社の取引先であるグッズ制作会社や広告代理店など十数社の法人が株式の約60%を保有しており、一般の個人株主にはまず規約遵守を約束させた会員組織に入会後、トータル30%程度の株式が1人につき1万円ずつ割り当てられるだけである。コンサドーレ札幌も個人株主は存在せず、しかもサポーター持株会は21%しか株式を持っていない。クラブ本体に巨額の債務保証をし、持株会理事に市議会議員まで送り込んでいる札幌市が実質的なオーナーかな(笑)。

 何が言いたいかというと、「特定企業の経営に依存しない」ということと、「個人の市民が株主になる」ということとは別だと言いたいのだ。株主というのは、チェック機能はもちろんもっていなければならないが、経済的合理性以外の感情的な理由で言を左右にしないという安定性も必要なのである。ところがサッカーのサポーター個人をそのまま株主にすると、その抑制が利かなくなる。

 鳥栖の市民株主制度は、確かにあの当時経営危機にあったクラブを資金的に救うのに役に立ったスキームではあったわけだが、それと同時に「筋が通らないから説得に応じない」と我を張るサポーター株主の出現を許してしまった。念のために言っておくと、僕は決して古賀照子社長の公私混同ぶりを容認するつもりもないし、そういう株主の完全排除を条件として資本注入を持ちかけてくるJリーグの鈴木チェアマンのセンスのなさも最低だと思っている。

 だが、どんな企業にも理屈だけでは筋の通らない不条理があるものだ。それを黙って飲み込めない思考の持ち主を株主にしたら、プロスポーツ球団に限らず、企業というのはおかしくなってしまうのである。

 鳥栖については、そうは言っても九州の市場に対するJリーグの未練はまだあるらしいから、まだ何とかなるような気もする。しかも、この後に及んでまだ存続を願うサポーターたちの動きもある。

 Jリーグの偉大なところというのは、良くも悪くもサポーターたちが球団の経営を左右できると信じているところであり、まさにそのことが多かれ少なかれ各球団の観客動員力を支えているということだ。これは裏返して見れば、スポーツイベントに参加する消費者を、ただの「興行にちょびっとカネを払って見に行くorCM入りのTV中継をビール飲みながら見る観客」から、「経営にまで参加したような気分になってグッズを買い漁り、全身全霊を賭けて応援するサポーター」という存在にまで、深いコミットを引き出すのに成功したことを示している。

 マーケティングしている人にとっては、顧客の参加意識を高めるのは「諸刃の剣」ではあるが、確実に熱狂的なファンを増やす効果があることは常識である。従来の野球がメディアとくっついてファンを増やし、メディアにCMを抱き合わせることで「広く、浅く」儲けるというビジネスモデルを持っていたのに対し、Jリーグはリーグ参入の敷居を可能な限り低くして球団の数をプロ野球の2倍以上にする代わりに、特定地域の人々に参加意識を持たせる「狭く、深く」のマーケティングを各球団に強要するというビジネスモデルを、今から10年以上も前に導入したのである。ある意味、大変な先見性だったとも言える。

 参加意識のある人間とない人間が、同じ人間でもどれほど「民度」が違うかを見たければ、野球場とサッカー場に行けばいい。野球の観客は「××をぶっ殺せぇ!」とか「何考えてんだボケェ!」とか、汚いヤジも平気で飛ばす。しかし、サッカーの観客の中でこの手のヤジを飛ばすと、(もちろん場所や周囲のグループにもよるが)かなり白い目で見られること請け合いだ。2002年の日韓W杯で、韓国のサポーターの汚いヤジや相手国の歴史を侮辱する内容の垂れ幕などに唖然とした人が多かったのも、韓国では野球とサッカーの歴史的位置がちょうど日本と逆だからだ。

 近鉄バファローズの合併問題が出てきて、「何でファンはもっと言いたいことを言わないのか」という感想がサッカーサポーターのファンサイトでたくさん出たが、そりゃないものねだりというものだ。経営についてファンが言いたいことなど、どっかの居酒屋でとぐろでも巻いて終わりというのが、プロ野球というスポーツの観戦ルールだからだ。

 いや、そもそもそんなこと考えるファンさえほとんどいない。経営者がバカだなんて話、自分の会社だけでおなか一杯、晩酌のおかずである“娯楽”にそんなこと持ち込まないでくれっていうのが正直なところ。みんな単にナベツネが面白くて茶化してるだけだ。だって、他の球団のオーナーの名前なんて、球団のファンでさえ覚えてないよ。

 かくして選手個人とチームの成績以外に自己投影できるものもなく、結果的に勧善懲悪の如く「強い選手が集まって勝つ球団」、つまり巨人だけに人気が集中する。日本のプロ野球の世界は、他の分野では当たり前の経営やマーケティングの感覚が、全く通用しない世界なのですよ。

 そこにまた、「マネー・ボール」を読んだだけで覚えた「出塁率」「四球率」とかの言葉を振り回しながら「俺に経営やらせてみろ」と叫ぶ某生活扉会社社長が現れるなど、もう茶番以外の何者でもない。彼が「球団数を減らしてリーグを統合してもパイは広がらない」というその論理だけは全く正しいと思うが、そもそも彼は日本のプロ野球にはペナントレース中のトレードという、米メジャーリーグや日本のJリーグが持っている当たり前の人材流動化ルールさえないのを、知らないのか。「マネー・ボール」に書かれてる経営なんて、ドラフト逆指名が当たり前、巨人が横暴したい放題のプロ野球界でできるわけないんだよ。経営センスを生かして云々したいならサガン鳥栖でも買ってやれっての。

 だから、楽天の三木谷社長の苦笑いは、非常にまっとうな感覚だと思うよ。世の中の人はみんな上司に気兼ねしてあまりはっきり言わないけど、ファンの「民度」という観点、そして許されているマーケティングフレームワークの自由度の高さと先見性から言って、もう「国民」的スポーツである野球は、「市民」のスポーツとなったサッカーに勝てないと思う。「自民党憲法調査会の議論の中に『市民』という言葉が一度も出てこない」と、誰かがブログで指摘していた。自民党プロ野球も、長期的には「市民」という概念が分からないまま市場でのたれ死んでいく存在に違いない。