鴎外の愛情

とあるウェブサイトを紹介します。ついでに文体もよそ行き。
http://homepage3.nifty.com/hidefuurai/ougai.html

鴎外は肉親に対して深い愛情を注いでいた。特に四人の子供への愛情の深さには、驚嘆するほかはない。それは全く、度肝を抜かれる程で、遺児達の手記を読んで何度瞠目したかしれない。
例えば、長男於菟の手記にはこんな一節がある。
「夏の夕食後父が散歩に行こうといって着流しのまま玄関を出た。私は何かにすねていて出なかったら父は先にいってしまった。祖母に『お父さんが連れて行くという時は行かなければいけないよ』といわれて、あとからかけ出すと父は隣家の前で待っていた。私は何も言わずに涙ぐんて父の左手にすがった」
これは一見、なんでもない話のように見える。だが、本当はこれは実に凄い話なのである。子を持ったことのある者なら皆覚えのあることだが、一旦すねて「行かない」と言い出した子供が親の後を追って来る可能性など、まず、無いといっていい。
だから於菟自身も、父はもう遠くにいってしまったに違いないと思って慌てて家を駆け出したのだ。ところが父の方は、子供の気が変わることもあり得ると思って、徒労に終わることを承知で隣家の前で子供を待っていたのである。これは、そういう話なのだ。
子供が家に残っていたら、父が戸口で待っていてくれたことには気づかずに終わる。そして、実際、家族の多くは、鴎外のこの種の配慮を知らないままに打ちすぎることが多かった。誰も気のつかないところで、家族の為に心を砕く。そして、すべてを自分一人の胸におさめて死んでいく、これが鴎外の生涯だったのである。

幼児〜小学生くらいまでの成長を見た経験のある親にとっては、この記述はちょっと心を揺さぶられるものを感じませんか。
ちなみにこの方、単純に鴎外のヒューマニズムを称揚しているわけではありません。それはページを読み進んでいけば分かります。最初は小説家か学者の誰かが作ったページだろうとばかり思いました。
文章の上手い方を(いわゆるプロも含めて)ネット上で見つけるのは難しいことではありません。しかし、このサイトはそういうレベルのものではありません。大岡昇平が存命なら、こんな日記を書いたか? いや、「空気読んで」もっと砕けた文体にしたでしょう。
ネットは、ともすれば人を幼稚にします。でもこんな鮮やかな例外があるのだと思いました。恥さらしな我が日記を振り返って襟を正す鏡にしたいと、思いました。

FYI: この人の別のページで、安岡正篤が死ぬ直前(85歳)に細木数子(自称45歳)と結婚していたことを知る。すげえアマだ。