お久しぶり

お久しぶりです。
放置して誠に申し訳ないです。
ちゃんと生きてます。生きてますよ。
リアル方面の生活はあまり変化はありません。子供達が大きくなったので、親の自由時間が増えたのが一番変わったことでしょうか。

しばらくブログ書く生活からは離れていたのですが、去年後半からまた書き出しました。正確にはブログじゃなくてGoogle+だけど。

ここはこのまま放置しておきます。更新は、まあしないと思いますが、消すほどのこともないので。

あんだけ飛ぶ鳥を落とす勢いだったmixiが沈没寸前だったり、社会はここのところ大きく動いております。ブログ主は、もう動くほどの余力を人生において蓄えていないので、川面に浮かぶ柳の葉っぱの如く、好きなことをやって過ごしてます。

過去ブログ読んだ感想ですが、「おこちゃまの作文か!」

駄文失礼。

 ようやく涼しゅうなりました。毎週木曜にMXテレビ(東京のローカルUHF、あんねん東京にもそういうのが)で流れるじゃりン子チエを見るのだけが楽しみでおます。

 8月は大変やった。ちょいと長い夏休みとって、といっても大半は家族帰省の留守番でつぶれてしまい。その間ちょいと京・大阪方面に出かけて某私大センセーとメシを食って古書市を回りました。京都も大阪も鬼のように暑かった。でもおかげでワインは旨かったわ。
 そのとき岸君と学生の就職の話になったんだけど、英語云々というより「彼らに良い度胸を持たせられるか」をどうするか、が難しい。自分の社会人経歴が全くの偶然で成り立っているので大きなことは言えませんが、自分の場合、最初の職場での3年間がなかったら、留学も転職もせんかっただろうなあ。オレは自分の息子(来年大学受験、従って4年後くらいには就活してる計算)をどうテイクオフさせるかを考えんといかんので、ちらちらついった見ながら考えてます。インドに修行に出すとか(半分マジ)。

いろいろかまびすしい「英語の社内公用語化」論議。ですが、内田樹先生のこれ
http://blog.tatsuru.com/2010/07/21_1832.php
はいただけない。明らかに勇み足・暴論で、下記の突っ込みどころ満載なイチ・ゼロの論理構成からして脇が甘いと言われても仕方がない。リンガ・フランカ論のように良いことも言っておられるのになあ。もったいないです。

とりあえず英語ができない人間は、どれほど仕事ができても、幹部には登用されない。なにしろ会議に出ても、みんなが何を話しているのかわからないんだから。

「仕事はできるが英語はできない」という人間を排除して、「仕事はできないが英語はできる」という人間を残した企業がそれによってアクティヴィティを高めるであろうという見通しに私は与しない。

んなわけねえじゃん。如上のSF的極限状況を前提にした論理は、このテーマでは極めて不適切。さらには、最近英語公用語化を打ち出した某ネット企業の親玉はいくらなんでもそこまで阿呆じゃないだろうくらいのことは、内田氏こそ「合理的に」推論できないのかと思いますが。
ただ、ご自身のテリトリーの外で、己の分をわきまえない・知的誠実さを疑わせるようなテキストを出す、というのは、なんとなく既視感覚があるので、日本の(だけじゃないかもしれないが)知識人の陥穽なのかもしれません。そういう「俗情との結託」(大西巨人)に流れなけりゃいいがなと思います。

蛇足ですが、公用語を作るということは「現地語との分離」が発生するわけなので、日本語による"非公式"コミュニケーション量が増え、かえって風通しが良くなるなんていう効果は・・・あるかもしれない。本格的な導入事例はないわけだから、なんとも言えないが。

尾崎一雄は気候の過ごしにくい時期になると「冬眠」したそうである。冬眠しながら、庭の蛙だの虫だの草木だのを眺めながらしょーもないことを考えて文章にして食っていたわけだ。
冬眠最高!

以下は独り言。

  • 不肖私も仕事で壊れて2ヶ月ほど「冬眠」した経験があります。まじめで几帳面なタイプ(自分で言うのもナンだが)はCPUがフリーズしないように、アンテナ感度を落とすなり可動メモリ領域を削るなりしたほうがいいと思うようになりました。現在の私がそうかもしれない。
  • あと、歳食うと短気になった。自分で我慢しちゃう性格が削れてきて地肌が出てきてる気がする。まあ、これもアンテナ感度を落として適当に流す(つまり相手にあまり気を使わない)ようにしている。

以前付けてたブログのタイトルそのまま、実はこの歳でようやく「人生握ッテ回セ」るようになったかと。

前回の日記の続きをちょっとだけ。

  • 大西洋の向こう側の某国の某林檎板を巡る某業界の諸事情を見ておりますと(某ばっかりや)、ユーザーも美味しいようにうま〜くやってる連中がいて浦山氏杉。日本ではガラパゴス化たらいう言葉が巷にはびこっておりますが、一番モノを考えてこなかった一番上流の連中のこと(某コンテンツのことを言っております)をなぜ誰も言わん? 携帯であーだこーだするのに月4千円も払うオサイフゆるゆるな我々日本国民からすると、海の向こうを見るにつけあまりに歯痒い状況である。スリングボックスも買えんのだぞこの国は!
  • 以前にホリエモンがこの業界を買おうとした時はいろいろ揶揄されました。私も個人的には斜め下な視線で見てましたが、今にして思えばあの時もうちょっと連中も"学習"しときゃこんなことにはならなかったんじゃないかと。海の向こうで知恵をつけているレンタルビデオ屋さんとかネット+電話屋さんとかが、そのうち何かやるだろうけど。
  • いうときますけど「あいほん」はすぐ飽きました。あんなんで革命的とか言ってる連中はどうかしてる。林檎板もまーそのうち飽きるじゃろ。ハコは所詮ハコ。あいほんや林檎板がいいのは、その上でいろいろ踊れる余地を、ユーザーにではなくサービス業者に与えているからであって、上で踊ってくれる魅力的な業者が出てきてこそ「魅力的なハコ」と言えるのでございます。

先日三浦海岸一周139Kmを自転車で敢行。右膝を痛めました。でも懲りずにまたやる。自転車乗っているおかげでここんとこツール・ド・フランスどっぷりでした。

ご無沙汰です。近況をいくつか。

・4月の終わりにスポーツ用自転車を購入。前回の日記で書いた「最近ハマっている」のはコレ。あわよくば体重も落として筋肉もつかんかと甘いことを考えている。最近の梅雨が恨めしい・・・
・最近、某林檎板を入手。海外他社製の板(アンドロメダOSのやつね)もいくつか触った経験があるのですが、今のところ林檎のが一番秀逸。やっぱりチップを内製してるのが効いてるんでしょうか。あっと驚くタメゴローな板をどっか他所が出さないものか。
 最近この手の話で日本の家電屋さんが振るわないのは、デザイン下手とかローカル市場とかいろいろありましょうが、ぶっちゃけ「そのマシン上で利用できるブツ」がショボ過ぎる。これが変わらない限り、逆転どころか沈没に向かってまっしぐらだろう。日本並みに進んだ無線データ網に、米国並みに進化したコンテンツが乗ったら最強、のはずなのに。海の向こうじゃ、コーヒー2杯分の月額固定費でレンタルビデオがネットで見放題とか、放送されたTV番組は片端からネットで見られる(無料で)とか、すっかり別世界になってしまいました。
 俺が就職活動していたバブル真っ盛りの頃の花形といえば、TV局・出版社だったのに、20数年経つと「構造不況業種」だもの。今でもお給料はよろしいんでしょうけど、泥船にいつまで乗っていられるか、みたいな感じではないの。諸行無常・・・
 林檎板を触っていて一番面白かったのは、i文庫iBooksです。岩波文庫緑帯・赤帯クラスの古典文学がけっこう入っていて、無料で読めます。iBooksのほうは英語ね。iPhone・ケータイでは画面が小さ過ぎたが、林檎板のサイズなら申し分なし。俺に勇気があれば、通勤の車内で出して読むんだけどなあ。

ここ数年ずっと古書漁りにハマっていたのですが、数ヶ月前から若干風向きに変化が。
ちょっと別なことを始めているからです。古書市にはこれからも出動しますが、回数を減らしてセレクティブにやるつもりです。読書ペースをはるかに上回る古書買いで置き場所に悩んでいたこともあり、積ん読状態だった本たちをじっくり読んであげるいい機会だと、手前勝手に考えることにしました。福原麟太郎とか富士正晴とか木山捷平とか。

林檎社製の某端末が売り出されて喧しいこの頃ですが、端末のインタフェースとコンテンツの作りこみ・導線の勝利なわけですけれども、金にものを言わせてうぃんどうずクンがキャッチアップ、一人勝ちを嫌う有象無象がぐーぐるクンにくっついて反攻、で、あまり長くいい夢は見られないと思います。特にインタフェースのところにマイクロソフトが突っ込んでいる投資は尋常じゃないので。あの会社を、PCでの「いいとこ真似のダサい」イメージで考えないほうがいいと思う。後者はさっそくインテルソニーがTV系サービスでつるんでますし。
ただ、少なくとも雑誌と新聞はもうあの手の端末で生きていくしかない。米国の大手スポーツ雑誌が近々載せるデモを見ましたが、ありゃもう"いわゆる雑誌"じゃない。あれ見たらまず紙の雑誌は買う気がしない。しかも電子版のほうが安いし。
あと、これは先進国だけの話じゃないということ。100ドルで上記のような端末を作って途上国にばら撒こうと計画している連中がいますが、最初からああいうもので教育を受ける人たちの率は、先進国より高くなる可能性がある。出版に限らず、医療、金融、エネルギーのような規制業種ほど"時差"がなくなるか逆転する可能性はあると思っています。5年後の日本の小学生は相変わらずXX出版の検定教科書なのに、インド(またはブラジルまたはケニアまたは云々)じゃウン百万の小学生がデジタルで勉強してるかもしれない、つうことですね。こういう"異種格闘技戦"は途上国の方が上手だったりする。
こういう世界で我々の子供たちは生きていくのかと考えると、もう世代間格差なんてもんじゃないなと思います。

ちなみに私は林檎端末は買いません。最初に書いた「別なこと」で出費がかさんで、山ノ神から睨まれているから。上手くいかんもんだなあ。

今さらながらなんですが、明けおめ。4ヶ月ぶりに更新するサイトをブログと呼ぶのも憚られるが、今年もこんなペースになりそうです。閉鎖はしない。書けなきゃほっておくまでである。

以前は、「読んだ本」ベスト3だのベスト10だのをやっていたのだが、ここに書くヒマをなくしてから何読んだか全く覚えられなくなってしまったので、やりたくてもやれない。と書きつつ、去年印象深かった本と映画を挙げる。

私は猫ストーカー [DVD]

私は猫ストーカー [DVD]

この日記の下のほうに、映画館で見た時の感想があります。私を長い長いブランクからもう一度映画を見る気にさせてくれた作品。DVDも買った。なんといっても、ラスト近くで、古本屋の主人が和解したカミさんを机の上に座らせて赤い本を読ませるシーンが素晴らしい! 「映画的感性を揺さぶられる」(byハスミン)ちゅうやつでしょうか。あと、鈴木クンがハルさんと向かい合って、「今日もいい天気だな」とつぶやくあたりのシークエンスとか。DVD付属の音声解説で、映画監督の某矢口がくだらないコメントを連発しておりますが、なんちゃらボーイズやほにゃららガールズあたりとは全然レベルが違うと思います。ただの猫好き映画じゃない。
絢爛たる影絵―小津安二郎 (文春文庫 (383‐1))

絢爛たる影絵―小津安二郎 (文春文庫 (383‐1))

高橋治の名前は、『風の盆恋歌』の作者で直木賞作家ということくらいしか知らなかったのだが、日活の映画監督出身だとは意外だった。映画と小説を両方手掛ける人なんて他にいるのかしらん。この本は、「東京物語」で助監督をやった著者の小津安二郎へのオマージュなんだが、ハスミンの小難しい批評タームにうんざりした経験のある自分には、いい解毒剤になった。映画監督経験者による映画体験の言語化としてとてもよく出来ている本。最近でた岡田茉莉子の自伝と合わせると滋味倍増かと。というわけで日本映画いいぞいいぞと言いながらゲットした、新藤兼人による溝口健二の伝記。溝口はとにかく「わやなことばかりやるりよるお人」だったようである。そこまでして撮りたいのかと、思えば彼の映画も見たくなる罠。

最近はレンタルDVDやCS放送から吸い込んでせっせとDVDに焼いております。例えば

流れる [DVD]

流れる [DVD]

の、ラスト近くでの杉村春子が切る啖呵。かっこ良過ぎてたまりません。この映画は、ノーメーク(!)で仕切る山田五十鈴ギリシャ彫刻のように美しい岡田茉莉子、ふてぶてしい貫禄がにじみ出る栗島すみ子(16年ぶり映画復帰とは思えない)、控えめな力強さが恐ろしい田中絹代、実は意地悪な性格が分かってしまう高峰秀子と、オールスターキャストながら私のツボに刺さりまくりな一品でございます。