いろいろかまびすしい「英語の社内公用語化」論議。ですが、内田樹先生のこれ
http://blog.tatsuru.com/2010/07/21_1832.php
はいただけない。明らかに勇み足・暴論で、下記の突っ込みどころ満載なイチ・ゼロの論理構成からして脇が甘いと言われても仕方がない。リンガ・フランカ論のように良いことも言っておられるのになあ。もったいないです。

とりあえず英語ができない人間は、どれほど仕事ができても、幹部には登用されない。なにしろ会議に出ても、みんなが何を話しているのかわからないんだから。

「仕事はできるが英語はできない」という人間を排除して、「仕事はできないが英語はできる」という人間を残した企業がそれによってアクティヴィティを高めるであろうという見通しに私は与しない。

んなわけねえじゃん。如上のSF的極限状況を前提にした論理は、このテーマでは極めて不適切。さらには、最近英語公用語化を打ち出した某ネット企業の親玉はいくらなんでもそこまで阿呆じゃないだろうくらいのことは、内田氏こそ「合理的に」推論できないのかと思いますが。
ただ、ご自身のテリトリーの外で、己の分をわきまえない・知的誠実さを疑わせるようなテキストを出す、というのは、なんとなく既視感覚があるので、日本の(だけじゃないかもしれないが)知識人の陥穽なのかもしれません。そういう「俗情との結託」(大西巨人)に流れなけりゃいいがなと思います。

蛇足ですが、公用語を作るということは「現地語との分離」が発生するわけなので、日本語による"非公式"コミュニケーション量が増え、かえって風通しが良くなるなんていう効果は・・・あるかもしれない。本格的な導入事例はないわけだから、なんとも言えないが。