己の欲するところに従いてその矩を越えず
ちょっともやもやしてるので、生煮えのままだが書く。
サッカーと野球を文化比較するのは「罠」だと思う。それやっちゃダメ。
両方をまな板に乗せるなら、純ビジネスな視点とかプレーヤーの肉体機能論とかで論じるのは可。例えば、広瀬一郎氏のブログの8/31や9/29。
「文化」を持ち出したとたんに胡散臭くなる。自分で転載しておきながらナンなんですが、9/16の「きまぐれ偏拾帖」の記事にちょこっと危うさを感じるのは、そこです。そんな簡単なもんじゃないだろう、野球もサッカーも、という。
じゃなぜファンとサポーターの文化比較がOKかといえは、そこには「現実をどう切り分けるか」じゃなく「切り分けたい新しい現実をどう作り出していくか」という前提があるから。それならどんどん切り分けりゃいいのです。"野球はプロじゃない"高須氏のブログが「正しい」のも、フットボールで切ることで作り出したい新しい現実をそこに見せてくれるからです。