宮本常一みたいなロシア人

宣教師ニコライと明治日本 (岩波新書)

宣教師ニコライと明治日本 (岩波新書)

これはすごい。ロシアの宮本常一だ。
ロシア正教の日本への伝道のワンアンドオンリーだったニコライというおっさんがおった。まだキリシタン禁令が生きていた幕末に来日、そのまま明治末年まで日本で布教して亡くなった人で、神田のニコライ堂(東京在住者以外は知らんでしょうが、あるんです)を建てた人として有名、らしい。このおっさん、日本語を急速に習得した後、日本中を布教のため旅行しまくり、膨大な日記を書いた。その日記を最近ロシアで発見した著者が、ニコライの紹介を兼ねて書いた本。
タメで庶民としゃべれて、自分の体験を日記に細かく書いてるわけなんだが、学術的とも旅行者的とも違う。かといって布教対象という狭い視野でもない。生まれ育ったロシアの農村と日本の農村が、このおっさんには繋がって見えている。
ロシア正教は、古代的キリスト教として西欧からは見下されてた。イコンを拝んだりすりゃ偶像崇拝=後進的と見られるのも無理はない。しかし、そういう宗教が、朝起きたらお日さんに柏手打って頭を下げる日本人の心情に以外にマッチするんちゃうか、という予感がこの人にはあった。残念ながら、そういう日本的宗教感情は日本が帝国主義国家として西欧化するに連れてどんどん消えていく。いうたら、でっかいアイスがみるみる溶けていくのを前にした小学生のような心境だったんではないか。
だから、西欧プロテスタントよりそこらのおっちゃんおばちゃんにずっと親近感を持っている。で、もちろん仏教や神道を信じてる人には改宗してもらいたいんだが、彼ら彼女らの中にある宗教的感情には理屈抜きで共感しとるんですよ。宮本常一なんです。
西欧に追いつきたい日本人(特に上層階級)の中には、プロテスタントを「西欧文明のシンボル」として信仰する人も出てくる。我々が知っている明治のキリスト教ってそれでしょ。倫理と道徳のキリスト教。でもここで出てくるキリスト教は、農家のじいさんが毎朝お地蔵さんに頭を下げる延長線上にあるキリスト教である。そういうものがあり得ることすら初めて知ったよ。
ニコライ日記は抄訳が既に出ているが高い。完訳は来年3月には出るらしいがさらに高くなるだろう。猛烈に読みたいが、岩波はついでに文庫版を出してくれないかなあ。