老師からの一言

田島先生の、ロナウジーニョ+丸山眞男+ギリシャ古典の超絶高難度合わせ技
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

なにやら突然、無関係な話に迷い込んだように見えるかもしれないが、私にとって、サッカーも政治も同じである。いや厳密には少し違う。すべては政治であり、サッカーも野球も、中田英寿選手も古田敦也選手も、みな政治である。高橋尚子選手でさえも政治である。

以前、セルティック中村について、田島ブログに対して実にしょーもない突っ込みを入れてしまい、それ以降ぱたっとサッカーに関するコメントが出てこなくなったので、とても恐れ多いことをしでかしたのではと心配してました。本当によかった。これからもどしどし書いていただきたい。
私、田島先生がサッカー本書いたら絶対買います。

11/25の日記にも書いたように、サポーターはただのサッカーおたくじゃない別の可能性、それも社会性を持った「思想的」可能性があると漠然と思っていた。『狂熱』を読んでからだけど。それと同じ(かもしれない)ものを田島先生が感じ取っておられる気がして、大変うれしいです。政治、人種差別、ナショナリズム、暴力。それらと向き合いつつ踊らされることなく、その横をすり抜けて行ける可能性。「公共性の自覚」とか「市民としての責任」という言葉も田島先生は使っておられるが、「ギリシャ」や「政治」と明言しておられるので、お行儀の良い道徳一般をおっしゃりたいのではないはずでしょう。
『狂熱』読み返しながら、またつらつら考えてみます。