更年期生涯

更新期の文学

更新期の文学

大塚は確信犯的近代主義者になるのだそうである。護憲派民主主義万歳。
なるほど。
身も蓋もなく言ってしまうが、俺のようなヘタレが実践できるモデルとしたら、改めて近代主義者になる、というのが、保守的かもしれんが一番腑に落ちる解と思う。自分自身がどう考えるかに加えて、どんどん大きくなる子供たちに何を教えたらよいのかということもあるのよ。ポストモダンでウンウン唸って咀嚼している余裕は、ヘタレで仕事に追われている現在の自分には正直いって、ない。

俺らの歳のモンは、入学早々に大学生協で『構造と力』『隠喩としての建築』の平積みを見た世代。教養の土留めもへったくれもないままポストモダンのフルスイングでもみくちゃにされたわけで、落ち着いてテメエの腹を撫で回すことなぞついぞないまま歳を取ってしまった。
だから、第9条は強制されたものであるがゆえに受け入れなければならない、とか、まず近代主義をちゃんとせよとか、今ドキの文学には構造しかないからスルーしろとかの柄谷のセリフでなんとか息継ぎができたんだと思う。大塚だの北田だの内田樹だのの最近のコメントを読んでいると、測量基点は今だに柄谷じゃん。もう一回(NAMとか地域通貨とか言い出す前の)柄谷を、丹田に重心を置いて読んだほうがよいんじゃないかと。

ちなみに、私は季刊思潮から批評空間最終号まで全巻持ってます。ばかだねー。