違う路線
上の本は例外で、最近はブンガク作品を読み飛ばしております。
乱暴な言い方だが、これまではブンガクは「知的営為」じゃないと思っていた。大岡昇平や大西巨人のような、"知に勝った"小説だけが読める文学だと思っていたところがあった。
「考えない」人が書くものだから、出来上がったものは「理解」せずに「感受」するのだと思っていました。そんなもんどこが面白いのかと。おまけに、「考える」人がブンガクを語ると、テキストなんちゃらとかみょーに詰まらん方向に行く(かつてはそれが知的好奇心に触れたときもございましたが)ので、なおさらブンガクを避けていた原因のように思います。「考えない」ブンガクと、「考える」けどブンガクをダシにして違うことが言いたい言説の2種類しか見えてなかったと申しましょうか。
今更ながら、文学というのはとても「知的」なことなのではないかと最近思い始めています。後藤明生に始まり梅崎春生に武田泰淳、古井由吉ときて今は有島武郎『或る女』。『或る女』すごいです。大正初期に書かれたのに、現代小説そのままの文体。ああいう特異な女性の人格造形はどうやったら書けるのかと思う。
ああ、最近読んだ中では、京極の新刊は面白かったです。前作・前々作よりずっと良くなった。
- 作者: 京極夏彦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/09/27
- メディア: 新書
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うん、やっぱりつまんないね、こういう「考える」ダシにするような解説は。やっぱり文学読もう。