出張中のフライトで見た映画

http://www.sonypictures.jp/movies/strangerthanfiction/index.html
Stranger Than Fictionという原題のほうがしっくり来る。せっかくひねった筋書きの映画なのに、「主人公は僕だった」という鬼ベタな邦題を考えた配給会社のセンスを疑う。
エマ・トンプソンマギー・ギレンホールという2名の女性が大変良かった。エマ・トンプソンがビルから飛び降りるところとか、マギーと主人公がバスに乗って話すところとか。これから日本公開だそうなのであまり書きませんが、イマドキのカップルにはこういう映画がいいんじゃないでしょうか。
これを見た後で、長澤ナンタラとナントカもこみちのブルシットなアイドル映画を見て気分が悪くなったので、もう一度最初から見てしまった。脚本とか役作りとか、ベース部分の手間の掛け方でサボってたら百万年経っても邦画はハリウッドに勝てんなあと思いました。ちなみに、他にフライト上映されてたのは、洋画ではアンソニー・ホプキンスのバイク乗りの話と、エドワード・ノートンの手品師の話と、イーストウッドの「硫黄島」。これに上記の三流邦画を平気でカップリングするエアフランスに、ジャポンへの悪意を感じる。

ヘミングウェイ

映画の中で、ダスティン・ホフマン扮する大学教授が叫ぶ。「喜劇は結婚で終わり、悲劇は死で終わる」(これはもともとバイロンのせりふらしい)。
Stranger Than Fictionのような話を書くんだったら、日本なら佐藤正午じゃないかと思い、エッセイ集『ありのすさび』を読む。まあまあ面白い。
佐藤正午がたいそうリスペクトしているので、野呂邦暢『愛についてのデッサン』を読む。ふーん。
『愛についてのデッサン』で、野呂はある老人(このセリフの翌日に自殺する)にこう語らせている。

ヘミングウェイは語っている。長篇小説の終り方は二つしかないとね、つまり結婚か死か。

ダスティン・ホフマンが映画の中で引用してたのがヘミングウェイだったかどうか記憶にないが、どちらにしても、結婚と死は相反するものの象徴であり、それが物語をドライブすることについて、日米のハイブラウな物語作者は同一見解を持っているらしい。
私は、カミさんに死に目を看取ってもらえるかどうかのほうに関心があるんだけど。
とにかく、佐藤や野呂よりヘミングウェイを読んだほうがよさそうである。