アイロニズムは未来の兵器になれるか?
(去年からいわゆるチューカンカンリショクというのになってしまい、心理的余裕が少なくなってます。ほったらかしがちなのはそのせい)
- 作者: 北田暁大
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2005/02/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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でだ、ロマン主義的アイロニズムといやあ私にとってはフットボールのゴール裏なわけですよ。
オレらはピッチの選手と、その後ろに控えるゴール裏のサポーターと、さらにその背後に渦巻いている政治や歴史を巻き込みながら戦うのだ。
そして、悪意に発動されかかりそうになったときに、ギリギリの地点で、国家ナショナリズムの装置に背を向けていく。
フットボールはナショナリズムの身振りを再現しながら、そしてそれを全く違うものにしたてあげてしまうものなのである。そうして、あたかも癌のようにナショナリズムそのものを変質させる。(フットボールは未来の兵器である)
いや、皆がみなこんなかよとかそんなかっこよく行くんかとか突っ込みはあるだろうが。俺がつのだま日記とか読んでて痛切に感じるのは、アイロニーを前提にしつつも「切って血の出る」ことができるやんか、ということ。『狂熱のシーズン』みたいに、黒人選手に対して猿真似ブーイングかます自分をアイロニカルに見る「立ち位置」が日本でも起きるかつうたらよくわからんが。つのだま日記に頻出する「立ち位置」という言葉は、アイロニカルなポジショニングという意味で『嗤う〜』でも使われていたのが印象的だった。
いや、とにかく時間ないねん。猫とじゃれてるヒマもないし(ry