フットボールファンという生き方

漱石という生き方

漱石という生き方

朝日の書評柄谷行人が取り上げていたので買って読んでいる。ちゃんとした紹介は書評を読んでください。
「片付くものなどありゃしない」漱石の生き方が、「すっきりしない」書きぶりとシンクロしてる。というより、この叙述方法自体が意図的に採用されているものと思われる。全編はいちおう章で区切ってあるが、新聞連載みたいに章と章が繋がっている上に、テーマが緩やかに動いて明確な仕切りがない。

まああれだ、フットボール漱石も、片付くものなどありゃしないのであってみれば、たかがオージー戦でメートル上げることもない。ファンならだれだって、アリエナイ瞬間がやってくることを知っている。W杯が終わろうが代表が地に落ちようが(想像したくないが)、それでもフットボールは続く。諦めることも、終わりにすることも、結論を出すことも、フットボールには全く似合わないことを我々は知っている。

実は漱石も知っていたというわけだ。胃カタルのせいで精神が不安定になり、癇癪起こしてガキの茶碗を割り、歯から息をスースー吐くのがオブセッションのように気になり、一方でカミさんと上手く行かないことをさも第三者のように小説に書き。まともなんだか狂ってるんだか覚めてるんだか。なあんだ、俺らと同じじゃん

漱石はネ申。神は片付けないし諦めないし終わらせない。我々もそうするべきだ。